2010年1月31日日曜日

ヴィラ・バルバロ、その建築の物語














ヴェネツィアからは北西方向の内陸部、アゾロ丘陵の麓にマゼールという小さな街がある。
人口5000人足らずのこの街の外れに16世紀の建築家パラーディオが設計したヴィラ・バルバロが建つ。
北斜面を埋める針葉樹の木立を背景として、このヴィラは鮮やかな色彩を放ち、まるで絵本を飾る建築のような趣だ。
イオニア式の四本の円柱を持つギリシャ神殿のような主屋を中心とし、左右はロマネスク風の正円アーチのロジア(開廊)が連なる。
そしてロジアの両端部はともに日時計を持った鳩小屋という建築。
このヴィラはヴェネツィアの貴族バルバロ兄弟がパラーディオに依頼し建設した。
バルバロ家の二人はともに英国やフランス・トルコの大使を務めるヴェネツィアの重鎮。
兄ダニエーレはヴィトルヴィウスの注釈者としても有名であり、弟のマルカントーニオもまた美術好き、彫刻や機械、彫刻等に深い関心を持っていた。

16世紀、ヴェネツィアを抱えたヴェネト地域のヴィラは現在のリゾートハウスとはいささか異なる目的を持っていて、この地域のヴィラは都市からの休養のための自然生活の場ということより、農業経営のための拠点としての役割を担うことにあった。
アドリア海そして地中海を支配しつづけたヴェネツィア貴族だが、その支配が揺らぎ始めたこの時代、彼らは内陸部の農業経営に力を入れ、新しい時代を生きる術を模索していのです。
海の貴族が陸の支配をも目論む建築は、農地や自然というカオスの中にあっても、人間的コスモスを強く意識付けるメッセージが必要、従来のキリスト教建築とは別種の建築的世界を生み出すことが不可欠であった。
その為にはヴィラには自然の中に屹立する人間的秩序世界を象徴する物語が求めら、都市に建つパラッツォ(邸館)と同様、多くの知識人による知的コミュニケーション(社交)が可能な場とならなければならなかったのです。
従って建築設計上のポイントは居心地の良い空間を生み出すと言うことより、新しいライススタイルと知的な人間関係を生み出す社交の場、キリスト教会とは異なるある種の劇場空間となることを目指していた。


主屋の正面に立ち、振り返ると視線は一直線にならぶ木立の列に導かれ無限の一点に消えて行く。
透視画法が生み出す絵画的手法はこのヴィラが神(自然)の支配から離れた人間的世界そのものであることを示している。
透視画法はルネサンスの人間中心主義の象徴、そしてその焦点(中心)に建つのがヴィラ・バルバロの主屋です。
ヴェネツィア貴族バルバロは広大な自然を農地として従え、そのまっただ中に神の力をよらずして自らの館を構える。
左右対称な建築の広がりと十字をなす真一文字の視線の交錯により、自然である無秩序世界(カオス)を秩序ある人間的世界(コスモス)に転換したのです。
しかし、16世紀の時代意識はもはや、やみくもに古典を引用すれば良い時代とはいささか異なっていた。
ヴィラのデザインは黄昏のルネサンス期、バルバロ兄弟が発したオリンポス神話を引用した諧謔的メッセージです。
古来より、建築は詩や音楽同様、様々な物語を語るメディアでもあるのですが、このヴィラは農業神を表象する神話を建築空間と絵画空間を交差させ、リアルでありイリュージュナルな神話と現実を共存させることで物語っています。

このヴィラの主屋の正面には玄関はありません。
入り口と目されるものは一階の厨房のための勝手口に過ぎず、本来の玄関は主屋の裏側の階段を昇った二階部分です。
階段は左右対称のロジアの両側に設置されているが、昇り切ると小さなホール、しかし入り込んだ途端、あっと息を飲まされる。
一瞬のうちに、前後左右のあらゆる壁面からこのヴィラの住人たちと思われる人々の鋭い視線に射すくめられてしまうからです。
入り込んだ世界はバルバロ家の日常世界のまっただ中。
奥方と太った小間使い、少年と遊ぶ小鳥に子犬、そして扉を開き挨拶に出る召使いと可愛らしい少女、奥の扉からは狩りから帰ったばかりの猟犬をつれたご主人の姿。
描かれるのは住人たちだけではない、日常の掃除道具や小物、現実の扉と絵画の扉が混在したイリュージュナルな絵画空間となっている。
そこでは眺める自分自身も絵画の中、リアルな自分も幻像化し真実と虚構が共存するドラマの中に巻き込まれる。
つまり、ヴィラ・バルバロは多くの人々が真実であり虚構であることにより発生する、豊かなコミュニケーションスペース(社交)、劇場空間なのです。




ヴィラの内壁のフレスコ画は画家ヴェネローゼによって描かれている。
施主バルバロは建築家パッラーディオ、彫刻家アレッサンドロ・ヴィットーリアそして画家ヴェネローゼを制作スタッフとして、このヴィラを完成させた。
当代きっての三人の芸術家に託したヴェネツィア貴族による陸支配への意欲、それは並々のものではないことが良くわかる。
そして次に、バルバロが託した陸支配の意味、この建築が表現した劇場的世界そのものの意味を読み解いてみたい。
キーとなるのはパッラーディオが表した彼の著書「建築四書」。
その中でこのヴィラに触れパラーディオは次のように書いている。
「上階の部屋の床面が背後の中庭の地盤面と同一平面にある。その中庭には、家と向かい合った丘に泉が掘りぬかれ、スタッコ細工と絵画による大量な装飾が施されている。この泉は、小さな池となり、これは養魚池として役立っている。そこから溢れ出る水は、台所に流れ込み、それから、建物に向かってゆるやかに上昇してゆく道路の左右にある庭園をうるおし、二つの養魚池を形づくり、公道に面して、家畜の水呑場も設けられている。そこから溢れ出た水は果樹園をうるおしているが、この果樹園はひじょうに広大で、極めて良質の果樹や、さまざまな雑木が豊富に植えられている。」
建築書での解説だが、内容はヴィラの背後の山裾から溢れ出る水のいく末ばかりです。
そう、陸の支配を意味付けるこのヴィラのテーマは「水」にあるのです。


ヴィラの背後の山裾から溢れ出る水は神々に導かれ、水の精ニンフに守られる池、ニンファエムに蓄えられる。
グロテスクな神々とニンフを祭るニンファエムは彫刻家アレッサンドロ・ヴィットーリアにより作られた。
そして入り口ホールの北側、主屋の最後尾に配されているのが、このヴィラの最も重要なスペース、オリンポスの間。
オリンポスの間がバルバロが陸支配をメッセージする建築の始まりであり、ヴィラ全体の物語の中心です。
ニンファエムと中庭を挟んで、同じ床の高さで対峙するこの部屋こそ、新たな生命の誕生と豊かな人間生活を保障する神々の世界と意味付けられた。
入り口ホールから南、主屋の生活あるいは社交空間はすべてオリンポスの神々と共にある人間的世界。
そこからの眺めは先に触れた木立による透視画法によって秩序づけられた農業空間。
ニンファエムから湧き出る水はヴィラの神々に導かれ前庭の噴水となり、さらに敷地を通過し一直線に田園地帯(無秩序な自然ではなく、人間の秩序支配により生み出された農業地)に導かれる。
田園に流れ出る水は地をうるおし、安定と繁栄を約束するもの。
東洋でも同じですが、水は生命あるいは再生のシンボルです。
自然の中のニンフやサチュロスもまた生命・再生をイメージさせる小神たち。
海の覇者であったバルバロは時代に追いつめられての農業経営ですが、かっての栄光の再生をこのヴィラを建築することで祈願したのです。